
【新卒インタビュー vol.9】鈍感力を活かして、FiNCに新たな変化を生み出せる人材になりたい:宮田晋淑
2020年度新卒インタビュー企画、最終回は「宮田晋淑」さん。韓国の大学進学を決意し、厳しい競争社会を肌で感じた彼女のこれまでと、FiNCでのこれからについてお話いただきました。それでは、よろしくお願いします! 新卒インタビュー企画のアンカーを務めさせていただく宮田晋淑です。韓国人の父と日本人の母、2学年上の兄の次に、宮崎県で生まれました。1993年生まれなので、同期の中でも最年長ですが、これまでの26年間を振り返っていければと思います。 祖母との別れがきっかけで決意した大学進学 幼少期はとにかく親の転勤が多く、福岡、熊本、香川、広島と転々としていました。その影響からか小学校低学年までは内気な性格でしたが、外国人学級の生徒と遊ぶようになるにつれて、少しずつ克服していきました。「体が資本。きちんと自己管理しなさい。」という両親の教えもありますが、体を動かすことが好きだったので、小学校ではサッカー、中学校では陸上に打ち込んでいました。怪我に悩まされ、目立った成績を残せなかったのが残念でしたが、物事に取り組む姿勢はスポーツから学んだように思います。 早く親離れしたいという気持ちもあり、就職率や優良な求人が多いと評判の高校への進学を決めましたが、祖母からは「韓国の学歴社会にもまれなさい」とずっと言われていました。当時は全く興味がなかったので、空返事ばかりしていました。そんな矢先、祖母が亡くなり、葬儀で親族が韓国語で涙のお別れをする中、自分の発した言葉が祖母だけでなく、誰にも伝わらない悲しさと悔しさを味わいました。その反動から、韓国語の勉強に没頭。語学だけでなく、改めて自分のルーツを知りたいという気持ちから、高校卒業後は現地の語学学校に通い、そのまま大学に進学しようと決意しました。 「自分には絶対に負けたくない」苦節を経て、学んだこと 実際に韓国の大学に入学できたのは2015年。日本の高校を卒業してから3年後のことでした。語学の問題だけでなく、志望学科の条件が厳しく、狭き門をくぐるために必死でした。大学に入学してからも、韓国の競争社会を肌で感じることになりましたが、不思議と辛さはありませんでした。まず周囲のスピード感がとにかく早く、良い意味でみんな図々しい。自分をきちんと持っている印象でした。そんな中で取り残されないように、何事にも全力で取り組みました。精神的にも最も成長した時…